それは、他者への敬意を根本的に欠いてしまっているカルト圏の人種ならではの宿命。
畏敬の対象が、キリストやデカンショやニュートンアインシュタインで天井打ちなんていう
常識下では、どうあっても人々の敬意の総量が侮蔑の総量を上回ることなどあり得ない。
その辺りの人種も、確かに絶大な影響を世界に及ぼして来たのには違いないけれども、
どちらかといえば良い影響よりも悪い影響のほうが上回っているぐらいなものだから、
そんな相手への敬意を抱こうたって、どうあっても紛い物な演技止まりに終わってしまう。
人間の敬意というものは、本当に自分たちを不幸以上の幸福へと導いてくれる聖賢や、
その思想教条や、そこで崇敬が推奨されているような尊格に対するものであることで、
初めて正真かつ着実な積み立てが可能となるものであり、以て侮蔑の総量をも上回れるもの。
そして、その敬意の総量が侮蔑の総量を上回っている状態においてのみ、
人間という生き物のセロトニン分泌量も十二分たり、精神の安定度が盤石たるものだし、
この世に100年以上の平和状態をもたらし得る、仏神級の精神性の系譜たるのである。
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