近代東アジアを明治年号で鑑みるスレ


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033 2023/03/31(金) 04:19:01 ID:mMSrVOdpKI
>>13
英緬戦争
19世紀は、まさに帝国主義が牙をむいた時期でした。18世紀の後半からイギリスを中心とした欧米諸国で産業革命が起き、工業力や国力が強くなっていきます。この国力を使い、欧米諸国はアジアに進出していき、最初に犠牲になったのはビルマ(現ミャンマー)でした。ビルマは中国では漢字で緬甸と書かれたので、略称は日本でも「緬」が用いられた。ビルマはイギリスと3度戦争をします。1回目が1824年~26年、2回目が約30年後の1852~53年、3回目がさらに30年後の1885年~86年です。この結果、コンバウン王朝はイギリスに徹底的にやられ、イギリス領インドに併合されました。ビルマは立派な国でしたが、完全に植民地になったのです。http://bbs58.meiwasuisan.com/world/1564840797/01...
 イギリスはフランスがビルマに進出しようとしていることに危機感をいだき、先手を打ってビルマを併合することを策した。1885年11月、イギリスは最後通牒を送ってイギリス=インド帝国の従属国となることを要求した。ビルマ王国がそれを拒否すると、ブレンダーガストの率いる1万人のインド兵をビルマ領内に侵入させ、11月28日にはビルマの首都マンダレーを占領し、翌1886年(明治19年)1月1日をもってビルマをイギリス=インド帝国に併合した。

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