近代東アジアを明治年号で鑑みるスレ


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034 2023/03/31(金) 04:58:09 ID:mMSrVOdpKI
コーチシナ戦争 1858-1862
阮福暎(嘉隆帝)の全国制覇に貢献したフランス人宣教師ピニョー=ド=ベーヌ の活躍があり、ベトナム(阮朝)におけるフランスの優位は確立していた。しかし嘉隆帝の死後、阮朝は排外政策をとってキリスト教を迫害したため、フランスはスペイン人宣教師殺害事件を口実にスペインと共同で出兵、1858年にナポレオン3世がフランス宣教師団の保護を目的として阮朝に遠征軍を派遣、まず中部のダナンに上陸し翌年サイゴンを急襲して武力占領。その後アロー戦争のために一時的な大規模撤兵があったが、1861年に再度フランス艦隊はサイゴンに上陸し、コーチシナ一帯を占領した。
1862年第1次サイゴン条約、コーチシナ総督府がフランスのベトナム侵略の拠点となる。
1874年(明治7年)第2次サイゴン条約でベトナムは事実上フランスの保護下に置かれることとなった。
一方、ベトナムに対する宗主権を主張する清朝は、阮朝・フランス間に結ばれた諸条約を承認せず、1884年清仏戦争となりフランスは勝利する>>16
1887年(明治20年)には新設のインドシナ総督の下で直轄領コーチシナ、保護国アンナン、保護領トンキンを含む仏領インドシナ(インドシナ連邦)が成立。

タイはラーマ5世の治世下、英仏の緩衝地帯として独立を保った。

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