イラク共和国


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036 2023/11/25(土) 10:51:40 ID:SEzEzhMm9Q
第一次世界大戦前から、イギリスはオスマン帝国支配下にあったメソポタミア地方に強い関心を持った。それは「インドへの道」を確保する上で必要な地域であったからであり、特にドイツのウィルヘルム2世が3B政策を掲げバグダードまでの鉄道建設に着手したことに強く反発した。大戦中はオスマン帝国がドイツ側についたため、イギリスはインド総督府を中心にして、中立国イランへの働きかけを強め、ペルシャ湾岸に進出、拠点を設けて、バスラを攻撃占領した。メソポタミア戦線では補給の問題もありイギリス軍は苦戦したが、1917年3月にはバグダードを占領、さらにモースルなどの北部に進出した。モースルはフランスとの秘密協定サイクス=ピコ協定ではフランスの勢力圏とされていたが、石油の埋蔵が予測されたので、イギリスがいち早く占領に動いた。

サイクス・ピコ協定
第一次世界大戦中の1916年5月、イギリス・ロシア・フランス間で結ばれたの西アジアの旧オスマン帝国領分割に関する秘密協定。ロシアが革命で脱落し英仏に国間の協定となった。このように勝手に英仏によって線びきされたことに対し、アラブ民族による反対運動が盛り上がり、とくにイラク南部のシーア派を中心とした大規模な反乱が起こった。そこでイギリスは反乱を抑えるため1921年3月にカイロで会議を開催し、シリアのダマスクスからフランス軍に追われていたファイサル(ヒジャース王国のフサインの三男)を国王として迎えるという妥協策を画策した。こうして、1921年イギリスの委任統治の下でハーシム家のファイサルを国王とするイラク王国が成立した。

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